Blog (Before- & Afterimages)

ウンブラル──歴史の閾としての謎

『UP』6月号に寄稿しました。連載「イメージの記憶」の第60回です。 書誌情報は 田中純「ウンブラル──歴史の閾としての謎」、『UP』572号(2020年6月号)、東京大学出版会、2020年、36〜43頁。
『UP』3月号に寄稿しました。連載「イメージの記憶」の第59回です。 書誌情報は 田中純「少年たち(ボーイズ)・兄弟たち(ブラザーズ)の秘密──デヴィッド・ボウイの共犯者たち」、『UP』569号(2020年3月号)、東京大学出版会、2020年、49〜54頁。
『現代思想』磯崎新特集号に寄稿しました。書誌情報は
田中純「デミウルゴスのかたり──磯崎新の土星(サトゥルヌス)的仮面劇」、『現代思想』48巻3号(2020年3月臨時増刊号)、青土社、2020年、166〜177頁。
なお、巻末403〜405頁の図版が参照図像です。
『群像』に書評を寄稿しました。書誌情報は、
田中純「友の足音を聴く」(柿木伸之『ヴァルター・ベンヤミン』書評)、『群像』第75巻第2号(2020年2月号)、講談社、2020年、542〜543頁。

人びとは何を恐れているのか?

『世界』特集「フィクション化する政治」に寄稿しました。書誌情報は
田中純「人びとは何を恐れているのか?──芸術の自由と不自由をめぐって」、『世界』第929号(2020年2月号)、岩波書店、2020年、86〜94頁。
論文を寄稿しました。書誌情報は
田中純「ホロコースト表象の転換点──『サウルの息子』の触感的(ハプティック)経験をめぐって」、渋谷哲也・夏目深雪編『ナチス映画論──ヒトラー・キッチュ・現代』、森話社、2019年、50〜70頁。

夜の共同体へ──パスカル・キニャールに

『UP』12月号に寄稿しました。連載「イメージの記憶」の第58回です。 書誌情報は 田中純「夜の共同体へ──パスカル・キニャールに」、『UP』566号(2019年12月号)、東京大学出版会、2019年、23〜30頁。

「谺する言語(エコラリアス)」の歌


『UP』9月号に寄稿しました。連載「イメージの記憶」の第57回です。 書誌情報は 田中純「「谺する言語(エコラリアス)」の歌──デヴィッド・ボウイの作品における歯擦音と喃語をめぐって」、『UP』563号(2019年9月号)、東京大学出版会、2019年、41〜47頁。

それ(エス)の地下室(クリプト)

『UP』6月号に寄稿しました。連載「イメージの記憶」の第56回です。 書誌情報は 田中純「それ(エス)の地下室(クリプト)──ゲルハルト・リヒター《ビルケナウ》」、『UP』560号(2019年6月号)、東京大学出版会、2019年、49〜55頁。

薔薇と哄笑

水族館劇場の雑誌『FishBone』に寄稿しました。
 田中純「薔薇と哄笑──『Nachleben 搖れる大地』に寄せて」、『FishBone』No.71、水族館劇場、2019年、3-4頁。ローザと子供としての革命、そして、久作について。

抵抗としての引退

エッセイを寄稿しました。書誌情報は
田中純「抵抗としての引退──異なる生のかたちのために」、『現代思想』47巻4号(2019年3月号)、青土社、2019年、206〜214頁。
遅ればせながら、『UP』12月号に寄稿しました。連載「イメージの記憶」の第54回です。 書誌情報は 田中純「不死のテクノロジーとしての芸術──生政治のインスタレーション」、『UP』554号(2018年12月号)、東京大学出版会、2018年、46〜51頁。

歴史のゴースト・プラン

『UP』3月号に寄稿しました。連載「イメージの記憶」の第55回です。 書誌情報は 田中純「歴史のゴースト・プラン──宇佐美圭司の思想の余白に」、『UP』557号(2019年3月号)、東京大学出版会、2019年、37〜44頁。

原音景を求めて

『群像』に随筆を寄稿しました。書誌情報は
田中純「原〈音〉景を求めて」、『群像』74巻3号(2019年3月号)、189〜191頁。
10+1web site「特集 ブック・レビュー2019」に寄稿しました。
田中純「谺(こだま)するかたち ──岡﨑乾二郎『抽象の力』、ダニエル・ヘラー=ローゼン『エコラリアス』」

表象文化基礎論シラバス改訂

10月1日開講の表象文化基礎論について、「授業の目標、概要」を次のように改訂します。

ジョルジョ・アガンベン『事物のしるし──方法について』、カルロ・ギンズブルク『神話・寓意・徴候』所収の「徴候──推論的パラダイムの根源」などを手がかりとして、表象文化論の「方法」について考察する。詳しくは初回授業時に説明する。参考文献もその際にリストを配付する。
「サクタロウをアートする」展図録に寄稿しました。書誌情報は
田中純「「のすたるぢや」の知覚──朔太郎の実験」、『サクタロウをアートする──解釈の悦楽』、萩原朔太郎記念 水と緑と詩のまち前橋文学館、2018年、4〜6頁。

握斧(ハンドアックス)の像行為

『UP』9月号に寄稿しました。連載「イメージの記憶」の第53回です。
書誌情報は
田中純「握斧(ハンドアックス)の像行為──起源/根源のメイキング」、『UP』551号(2018年9月号)、東京大学出版会、2018年、45〜51頁。
この論文は『現代思想』掲載の論文「物質論的人文知(ヒューマニティーズ)としての「野生の考古学」(前項)と対になっています。
『現代思想』特集「考古学の思想」に寄稿しました。書誌情報は
田中純「物質論的人文知(ヒューマニティーズ)としての「野生の考古学」──同時代への退行的発掘のために」、『現代思想』46巻13号(2018年9月号)、青土社、2018年、150〜159頁。
なお、この論文は『UP』掲載の論文「握斧(ハンドアックス)の像行為」(次項)と対になっています。

荒川厳夫「桔梗」──8月6日に

荒川巌夫とは橋川文三の弟・橋川敏男のペンネームである。若くして亡くなった彼が結核の療養所で詩友たちと作った「高原詩の会」によって刊行されたその詩集『百舌』から、広島の原爆で亡くなった少女の思い出をめぐる詩「桔梗」を以下に掲げる。敏男はこの詩集が刊行される三日前に28歳で永眠している。
なお、荒川巌夫とその詩集について詳しくは、本ブログの次のエントリを参照していただきたい。→荒川厳夫『百舌』詩抄 また、拙著『過去に触れる』にも同内容の紹介がある。

荒川巌夫
桔梗

病室の花籠にゆれている数本の桔梗の花 
かよわげだが一生懸命咲いているその花に 
松島音頭の歌を想い出す
その歌を「これは一寸難かしいんよ」と言い言い 口ずさむような声で歌っていた 
少女のことを想い沈む

「桔梗の花は童話のお姫様みたいだから好き」
小学校の頃から女学校の三年生になるまで 毎年のならわしのように その年はじめて見つけた桔梗の花を 私の花瓶に生けてくれながら そんなことを言っていた少女

一夏 私は山道にたった一本だけ咲いている桔梗を見つけ 少女に先んじて花瓶にさしたその晚 数学の質問にやって来た少女は それを見て驚いた 一瞬暗い悲しげな影が顔をよぎったように見えた

「来年桔梗が咲くまでの一年間に きっと私の運命に重大な狂いを生ずるわ
少女はなかばおどけたように なかば心もとなげな表情で言い 私は大声で笑った その幻想と 大ぎょうな言葉使いが可笑しく 又かわいらしかったからだが──

ああ 毎年私の花瓶にさす 一本の桔梗の花に明方の乳色の靄のような運命を占っていた少女よ 私の心ない仕業を悲しむあの表情 あの口調のひびきは 今もそのままよみがえって私の心を嚙む

翌年八月六日
少女は広島で死んだ
亡骸はついにみつからなかった
五日間 街中を 島々を さがしまわった母親は 偶然川端に あの朝小女がかむって出た白いピケ帽を見つけた その焼け残りのすゝけた布切に はっきりと我が子の名前を読みとった母親は 頰ずりしてその場に泣き崩れたという その布切が唯一の遺骨の代りとして墓に埋められたが──

柔らかに艷やかなおかっぱの黒髪 その下の色白な顔 
八重歯ののぞく口もと きちんと結ばれた真白なネクタイ 折目の綺麗なセーラー服のスカートからのびたすんなりした脚......
ああ あの黒髮が焰となり あの顔が焼け崩れ 焦げちぎれたモンペをひきずってあの脚で よろよろと此の川端をどこかへ歩いていったのであろうか 母を呼び 水を求めて 獣のように顔をゆがめ 皮膚をかきむしったのであろうか

原子雲と一しょに 空の彼方に消えてしまったかのような少女 しかしこれはお伽話ではない 此の頃の此の夏雲のたたずまいの下で これは遠い昔の悲しい物語ではない

桔梗の花が風にゆれる
──運命に重大な狂いを生ずるわ──
あの一瞬よぎった暗い悲しげな表情のみが 想い出を占め続ける
(一九五二・八・一〇)

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Profile

田中 純
東京大学大学院総合文化研究科・教授
TANAKA Jun, Ph.D.
Professor
The University of Tokyo

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